私は孤独を浜崎あゆみとどうしたのか

私は浜崎あゆみが好きだ。

今日も浜崎あゆみを愛している。

私が彼女を好きになったのは「全盛期」と
持て囃されている時期をとっくに過ぎた頃。

関心がなかったわけではない。
ただ、好きだということを自分自身が
受け入れるのにえらく時間を要した。

嫌いだったから。無関心ではなく嫌いだった。

嫌いだと思っていた頃の自分には彼女は、
浜崎あゆみは眩しすぎた。いちばん遠くに
ある存在だった。羨ましいわけでもなく、
憧れを抱くわけでもなく、ただ疎ましかった。

自分には縁のないキラキラと輝いている、
楽しそうに笑っていられる、そんな人間達の
象徴のような存在。だから彼女が嫌いだった。

無関心ではなく嫌い。だから彼女の活動には
詳しかった。シングルを出した。着うたが先行
配信された。アルバムを出す。プロモーション
ビデオが朝の情報番組で初公開された。
それはもうファンだろうという位に追っていた。

しかもちゃんと聴いていた。ただのファン!

だから私はいつから浜崎あゆみのファンなのか?
という問に答えられない。分からない。
もしかしたら最初からファンであったのかも
しれない。どこで雪解けたのかが分からない。

ただ、好きになってからも順風満帆ではない。
ある時期私は彼女に対して無関心だった。
心が離れてしまった。それはまた別の話で。

紆余曲折を経て私は今まっすぐに浜崎あゆみ
好きなのである。驚く位にまっすぐに。
好きだから好きなのだ。理由がない。まさか
こんな日が来ようとは。だが私は知りたい。

浜崎あゆみをなぜ愛しているのか。

全盛期に少女達が彼女と孤独を共有していたのは
後追いでも想像できる。だが私はその時代を
通っていない。知らない。生まれてはいたが
私が多感な年頃を迎える頃などとうにDuty以降の
時代である。着うたの時代である。LISMO!とか
12週連続リリースとか全力少年とかそんな時代
なのだ。犬夜叉見てた!の世代である。

紐解きたい。浜崎あゆみと私を紐解きたい。
20周年だもの。彼女の歩みの半分くらいは
リアルタイムで見てきたんだもの。もう立派に
ファンだよ私も。全盛期を共有できていない
負い目なんかもう要らないのだ。それがどうした。

私は浜崎あゆみが好きだ。愛している。

その理由を、歴史を紐解きたい。そのために
ブログを始めた。ツイッターでは足りない。
まとまらないかもしれない。結局わからないまま
かもしれない。それでも私は浜崎あゆみと向き
合いたい。ムキダシで向き合いたい。